1986年11月17日、アラスカ上空で発生した「日航ジャンボ機UFO遭遇事件」は、航空史に残る未解決事件として、今もなお多くの注目を集めています。
この事件では、日本航空のベテランパイロットであった寺内謙寿機長が、2つの謎の光体を目撃。その後50分間も彼の飛行機を追尾されたとされるこの事件は、当時広く報じられたものの、政府の関与や隠蔽工作の噂がささやかれる中、真相が明らかにされないまま今日に至っています。
本記事では、寺内機長の経歴や事件の詳細、そして事件が現在も議論され続ける理由について詳しく解説していきます。
- 日航ジャンボ機UFO遭遇事件とは?
- 寺内謙寿機長のプロフィールと経歴
- UFO遭遇時の詳細な状況
- 隠蔽疑惑と政府の対応
- 寺内機長のその後のキャリアと現在
- なぜ今もなおこの事件は語り継がれているのか?
寺内謙寿機長、日航ジャンボ機UFO遭遇事件について興味のある方は、是非ご覧ください。
日航ジャンボ機UFO遭遇事件とは?
この事件は、1986年11月にパリから東京へ向かっていた日本航空1628便の貨物機が、アラスカ上空で未確認飛行物体(UFO)に遭遇したと報告されたものです。
事件が発生したのは現地時間で午後5時5分ごろで、フランス産のボジョレーヌーボーを運搬中でした。この貨物機は、アラスカの上空を高度約1万メートルで飛行していた際、2つの謎の光を目撃し、それらがしばらく彼らの飛行機を追尾し続けたのです。
このUFOとの遭遇は、後に巨大な「母船型UFO」が現れ、さらに奇妙な動きを見せ始めたことから、パイロットやクルーたちに強い印象を残すことに。
事件は当時、日米両国のメディアで大きく報じられましたが、後に「自然現象」や「目の錯覚」として片付けられたことにより、このニュースは急速に収束していきました。
寺内謙寿機長のプロフィールと経歴
寺内機長のプロフィール
寺内謙寿(当時47歳)は、日本航空で長年にわたり活躍したベテランパイロットであり、冷静かつ的確な判断力で信頼されていました。
彼は航空自衛隊のF-86F戦闘機のパイロットとしてのキャリアも持ち、その後、日本航空で貨物機のパイロットとして数多くのフライト経験を積む熟練の飛行技術者です。
寺内機長の主な経歴
- 航空自衛隊でF-86F戦闘機を操縦
- 日本航空で貨物機パイロットとして多数のフライトを担当
- UFO遭遇事件後、一時的に地上勤務に異動するが、数年後に現場復帰
寺内機長はこの事件の後、マスコミの注目を浴びましたが、事件について多くを語ることなく、冷静にその職務を遂行。その後、定年まで日本航空に勤務し、最終的にはキャリアを全うしました。
UFO遭遇時の詳細な状況
寺内機長とクルーが目撃したUFOの詳細は、彼らの証言によって明らかにされていますが、目撃した現象や詳細については一部相違点も見られました。
謎の光と巨大UFO
事件当時、寺内機長はアラスカ上空を飛行中、左前方約600メートルの地点に2つの光を発見しました。最初は他の航空機だと考えましたが、光の動きがあまりにも異常だったため、寺内機長は「UFOではないか」という疑念を抱くことに。
その後、UFOは徐々に巨大な球体の形へと変わり、まばゆい光を放ちながら、しばらく航空機を追尾しました。
UFOの特徴
- 2つの光体が現れ、やがて巨大な「母船型UFO」に変化
- 機内を強い光で照らし、操縦室が異常に明るくなった
- UFOにはノズルのようなものがあり、そこから光を放っていた
寺内機長はこのUFOの動きを目視し、カメラで撮影しようと試みましたが、カメラが異常を起こしてシャッターが作動しなかったため、撮影は失敗。
事件の最中、UFOは航空機の前方に現れ、まるで静止するかのような動きを見せ、その後もしばらく彼らを追い続けました。
クルーの証言の相違点とその影響
しかし、寺内機長の目撃したものと、クルーの証言には一部相違点が見られました。
副操縦士の為藤隆憲氏は、確かに謎の光を目撃したものの、寺内機長が主張するような巨大な「母船型UFO」の存在は確認できなかったと証言しています。
一方で、航空機関士の佃善雄氏も同様に光を目撃しましたが、それが具体的に何であったかは判断がつかなかったと述べています。
クルーの証言の相違点
- 副操縦士は光を見たが、詳細な形状やUFOの動きについては断定できなかった
- 航空機関士も光を確認したが、それがUFOかどうかには疑問を抱いていた
この証言の相違点が事件の解釈を複雑にし、真相の解明にさらなる障害を生んでいます。しかし、全員が何らかの異常な光を目撃している点については、事件の信憑性を高める要素ともなっています。
隠蔽疑惑と政府の対応
この事件が特に注目される理由の一つに、アメリカ政府の関与や隠蔽疑惑があります。
2001年に行われた「UFOディスクロージャー・プロジェクト」において、事件当時FAA(連邦航空局)の職員であったジョン・キャラハン氏が、この事件に関するレーダー記録が存在していたことを証言しました。
また、キャラハン氏は、CIAが事件の隠蔽工作を行い、関係者に対して口止めをしたという証言も行っています。
隠蔽疑惑の主なポイント
- キャラハン氏の証言により、政府の隠蔽工作が暴露された
- レーダー記録は存在していたが、CIAにより抹消された
- 公式な説明では事件の詳細は明らかにされず、隠蔽が続いている
この証言が真実であれば、アメリカ政府がこの事件に関する情報を意図的に隠蔽していた可能性が非常に高いと言えます。さらに、事件が大きな注目を集めたことで、アメリカ政府がその事実を公にしないよう圧力をかけていた可能性も考えられます。
寺内機長のその後のキャリアと現在
寺内機長は事件後、しばらく地上勤務に異動しましたが、数年後には再び飛行任務に復帰。
事件についての報道が多くの注目を集めたことで、彼は多くのインタビューを受けましたが、次第にその報道が負担となり、彼自身も「話さなければよかった」と後悔を口にするようになりました。
最終的には、日本航空を定年まで勤め上げ、その後は静かな生活を送っていると伝えられています。* ご存命であれば、2024年現在85歳になられます。
なぜ今もなおこの事件は語り継がれているのか?
この事件が今でも取り上げられ続ける理由は、以下の3つの点に集約されます。
未解決の謎
UFOの正体が何であったのかは、科学的に説明されていません。特に50分間にわたって航空機を追尾したという事実は、単なる目の錯覚や自然現象では説明しきれない要素があり、未だに多くの研究者がその真相を追い求めています。
政府の隠蔽疑惑
ジョン・キャラハン氏による証言が示すように、アメリカ政府やCIAがこの事件の詳細を隠蔽していた可能性が高く、真実が公にされていないため、事件に対する興味は衰えません。
現代のUFO研究との関連
近年、UFOに関する研究や証言が増加しており、アメリカ政府も一部のUFO関連情報を公開しています。この動きの中で、過去のUFO事件も再評価されつつあり、日航ジャンボ機UFO遭遇事件もその一つです。
まとめ
「日航ジャンボ機UFO遭遇事件」は、航空史に残るミステリアスな出来事として、今もなお多くの注目を集めています。
寺内機長やクルーが目撃したUFOの詳細、政府の隠蔽疑惑、未解決の謎が交錯するこの事件は、単なる偶然や自然現象では片付けられない要素が多く残っています。
今後、新たな証拠や研究がこの事件の真相を解明する手がかりとなる日が来るかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。