2024年5月27日放送クレイジージャーニーに半年ぶりの再登場。
前回2023年11月29日に登場の際には、「埋蔵金ハンター」という怪しい言葉をお茶の間に広め、私たち視聴者の好奇心を鷲掴みした八重野さん。
いったい「埋蔵金ハンター」を名乗る八重野さんとは、
- どのような経歴をもち
- どのような実績があり
- トレジャーハンティングの魅力・こだわりとは何なのか?
について、本記事では徹底調査していきます。
八重野充弘さん、埋蔵金ハンターに興味のある方は、是非ご覧ください。
八重野充弘さんの経歴
プロフィール
- 生年月日:1947年8月24日(76歳)
- 大学 :1970年3月 立教大学卒業
- 職歴 :1970年~1983年 ㈱学習研究社
- 1983年~1992年 ㈱くもん出版
- 1992年 退職し、作家・科学ジャーナリストとして独立
埋蔵金ハンター キャリア
きっかけは学研時代に出会った「足もとにあるかもしれない宝の話」という本。この本の中にある「天草の財宝」を調査する過程で、いろんな縁がつながり、
- 1974年 熊本県天草下島での財宝探しを開始
- 1977年 天草での財宝探しの経緯を綴った『三角池探検記…天草四郎軍の遺宝を求めて』で、第3回日本旅行記賞受賞
本の出版、受賞に至ったことがまた新たな縁となり、
埋蔵金研究の大家、畠山清行さんと知己を得、以降、畠山さんとともに埋蔵金発掘、「埋蔵金ハンター」への道にどっぷりとハマられていったそうです。
- 1978年 全国の同好の士を組織し、「日本トレジャーハンティング・クラブ」を結成。(現在まで代表世話人をつとめる)
それ以来、日本全国で調査したのは30か所、実際に発掘まで行ったのが13か所。現在も複数の場所を同時探索中で、内1か所は山梨県の富士の樹海にねむる武田信玄の軍用金とのことです。
気になるこれまでの発掘実績は・・・
埋蔵金ハンター 発掘実績
ハンター歴50年、残念ながら実際に埋蔵金発掘実績は無し・・・
にも関わらず、八重野さん、そして多くの人を魅了するトレジャーハンティングの魅力とはどこにあるのでしょう?
トレジャーハンティングの魅力・こだわり
八重野さんは発掘成功に至っていらっしゃいませんが、それではそもそも埋蔵金の発見事例自体、どのくらいあるのか? 調査してみました。
- 1956年東京都 小松ストアーの埋蔵金(時価総額 約2千万円)
- 1957年東京都 浅草で見つかった一分銀(時価総額 約1千万円)
- 1957年東京都 数寄屋橋から元文小判(時価総額 約2千万円)
- 1963年東京都 豪商・鹿島清兵衛の埋蔵金(時価総額 約10億円)
- 1963年東京都 芝で慶長一分金320枚(時価総額 約1億円)
- 1964年東京都 埋め立て地から慶長小判35枚(時価総額 約1億円)
あまりに事例が多く、1950年~1960年代の東京の事例に絞ったのですが、それでもこのくらいは出てきました。
これ以外にも全国で数多くの報告事例があるのですが、実際は報告されていないケースも多いのでは?と言われています。
更に、報告事例もそのすべてが偶然の「発見」であり、「発掘」ではないということ!
つまり、日本において埋蔵金ハンターによる発掘成功は、(公式には)1件もないのです。
この原因として言われるのが日本における法律解釈で、「埋蔵金」は基本「遺失物法」の適用対象となり、発掘内容によっては「文化財保護法」にひっかかることにもなり・・・
要は発掘者の権利が著しく制限されるため、多くの「発掘」が闇に埋もれていってるのでは?とささやかれています。
法律をどう変えるのかは横に置いても、現在の日本では「一攫千金」を目的としたトレジャーハンティングは成立しないのです。
とすると、八重野さんの目的は?
- 「発見第1号」の栄誉に輝くこと
なのではないでしょうか?
そしてそれが何物にも代えがたい、日本におけるトレジャーハンティングの魅力なのだと感じます。
「発掘成功報告第1号」となることで、法改正への機運が高まり法改正、となれば日本でも本格的トレジャーハンティングのブームが来るかもしれませんね。
まとめ
・八重野充弘さんの経歴
出版社勤務中に縁が重なり「埋蔵金ハンター」の道に進み、現在では第一人者となるも、いまだ発掘成功には至らず
・発掘実績
残念ながら実際に埋蔵金発掘実績は無し
・トレジャーハンティングの魅力・こだわり
日本での埋蔵金は全てが「発見」報告、法解釈の問題で「発掘」報告は1件もなし、その中での魅力は「一攫千金」ではなく「発掘成功報告第1号」となること
八重野さん、「発掘成功報告」が聞けることを心待ちにしております。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。